11月4日 志らくのピン@渋谷区立文化総合センター大和田 伝承ホール(2014年)
「志らくのピン」最終回。20年やったそうです。
来年からは、16年かけて203席を年4回に分けて、全部やる。
2030年までの演目一覧も配布されてました。
すごい。
私なんて、65歳から年金でどうやって暮らそうか、頭を悩ませているのにね。
一、『ぞろぞろ』立川志獅丸
安定して普通に面白かった。
二、『疝気の虫』立川志らく
クレイジー!
まさに、そこに虫がいる感じ。話芸ですが、身体も相当使ってました。
疝気の虫のあいだでは、♪インド人の猿股、ネトネトするよ♪という歌が流行っている、とか(笑)おかしくて、おかしくて。
病気というものは、全て虫の仕業なんだという流れで、フレディ・マーキュリーの名前が出て来たのは嬉しかった。(死の前日にエイズ患者であることを公表したと記憶してます。私はQUEENではフレディ派でした。でも、熱烈なファンだったのは中学時代までなので、初期のQUEENしかほとんど知りません。)
私、志らくさんと同い年なんです。
三、『死神』立川志らく
死神が教えるおまじないで、「アジャラカモクレン」の後に何を入れるか楽しみにしていました。
ちゃんと安倍内閣の情勢に触れてましたね。
ただ、前々日くらいにYouTubeでこの演目を聴いてしまった自分がいけなかった。
サゲ(オチ)の意外性が薄くなってしまった。
仲入り
四、『紺屋高尾』立川志らく
新解釈の『紺屋高尾』、最後の一言で泣きました。
※高尾というのは、当時とても人気のあった花魁(吉原の高級娼婦)の名前です。
ええ、高尾で泣くのはわかっていたのですが、新解釈、人間として“裸の”高尾。
久蔵が「野田の醤油問屋の若旦那」というのは嘘とわかると、怒って(確か)煙管で顔を叩いて流血させ、部屋を出て行く。久蔵が泣きながら追って着物を掴んで嘘を詫び、どんなに高尾のことを思っているか、もしどこかで顔を見かけることがあったら、フンとそっぽを向かず微笑んでもらえないか、とお願いする。
ここで彼女の心が動き、来年3月15日、年季が明けたらあなたのところへ行きます、女房にして下さいと明言する。
紺屋に戻った久蔵は久蔵で、本当に高尾が来てくれるか花占いなんかして、ちっとも仕事に実が入らない。
このあたり意外で、実は全く泣かなかったのです。
談春テイストの高尾で「泣きたい」という気持ちがあったけれど、志らくはそうは行かなかったから。
いわゆるどっぷり人情噺的な世界とは、ちょっと違うのです。
だから、うん、泣かずに終わるのも良いなと思っていたところを、自分でも訳がわからないほど心をギューッと押されました。
「年季が明けて、約束通り高尾が紺屋の職人久蔵の女房になり、店が繁盛しました…」で終わらずに、二人が一緒になってしばらくして、高尾が久蔵に話がある、と。
自分も久蔵と同じように爪と指のあいだが藍で染まり、いくら軽石で擦っても落ちなくなったのが嬉しい。そして、赤ん坊が出来た、「来年3月15日」に生まれると最後に告げるのです。
グワッと襲われた感じで、号泣でした。
なお、志らくは、この噺のベースは(10代目)金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)の『幾代餅(いくよもち)』だと話してました。(ストーリーはほぼ同じ)
彼が一番弟子入りしたかったのは馬生だけど、54歳で亡くなっていてそれは叶わなかった。稽古をつけてもらったのでなく、何度も聴いていて覚えたのだけど、落語界のルールで「誰から教わったか」はハッキリしなくてはならないので、師匠談志に相談したら、「俺が教えたことにしとけ」と言われたとのことです。