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落語を聴いた日

ナマで落語を聴いた日の覚書と、落語に関係するあれこれについて書きます。

2014年7月27日 第23回鎌倉はなし会「立川志らく独演会」@鎌倉芸術館小ホール

志らくを生で聴くのは月に1回!と思っていたのですが…ご縁あってチケットを譲っていただき、急遽行くことにしました。

「らくだ」良かった!

 

出演

立川志らく

ゲスト:遠峰あこ(唄とアコーディオン)

 

一つ目。開口一番は、お弟子さんの「権兵衛狸」。

誰でもそういう時代はあるのでしょうけれど、下手だった。

二つ目は、立川志らく「やかん」。実は、7月2日の「志らくのピン」でも聴いてますが、何回でも聴きたい。

この勢い、好きだなぁ。

屁理屈、滅茶苦茶な知ったかぶり、こじつけのやりとりが連発される、いわゆるイリュージョン落語です。

(イリュージョンという表現は、私は好きじゃないのですが、談志がそう書いたのだから、そうなんです。)

途中、地球は「丸」なのか、「平ら」なのかのところで、地球儀の話になり、「文房具屋で売ってる物を、お前信用してるんじゃねェだろうな?!」(細かい表現は記憶不確かです。)と、談志のフレーズがちょっと声帯模写で来た!でも、あまりうけていない雰囲気だったので、地元のお客さんが多かったのでしょう。

最後、矢がカンと当たって「やかん」の語源となったという話です。

仲入り

 

三つ目

唄とアコーディオンの遠峰あこさん。普段は、野毛あたりで、9割酔っ払い、1割泥酔者の前でアコーディオン流しのようなことをやっているそうです。

アコーディオンは小型に見えた。右足には鈴を付けて、リズムを取る。

この方、予想以上に面白かった。シューマイの崎陽軒の唄とか、オリジナル曲で、回転寿司屋のかっぱ巻きの悲哀の唄とか。

何より、「かんかんのう」を聴くことが出来たのが嬉しかった。

中国語のえっちな歌詞が一番で、二番からは日本語。江戸時代末期から明治にかけて流行したそうです。

これが、次の「らくだ」で出てくるのです。

 

四つ目

立川志らく「らくだ」

古典落語です。

らくだ、というあだ名のハチャメチャな乱暴者が、ふぐに当たって死ぬところから始まる。マクラは、無し。

らくだの通夜をやる為、博打で無一文の兄貴分(丁目の半次(ちょうのめのはんじ))が、通りがかりの屑屋に「(死骸をここに運んで来て)死人 にかんかんのう踊らせるぞ!」と周囲を脅して酒やさかなを手に入れるのですが、私はこの「かんかんのう」というのが何なのか、ずっと謎でした。それが、一 つ前のあこさんの唄で実演されて、すっきりしました。

志らくの「オウ!」(音でいうと、「アウ!」に近い)という声。こっれが好きなんだなぁ。

それと、屑屋がらくだの思い出を話すところで、土砂降りの雨の中、立っていたらくだ、雨があがって濡れた地面に兄貴分の似顔絵を描き、それを 「買え!」と脅すらくだ、らくだにいじめられている屑屋を遠巻きにして笑う近所の子どもたち…「落語とは人間の業の肯定である」という談志の名言が頭をよ ぎりました。

 

私、落語の入り口は、立川談春の書いた「赤めだか」という本です。志らくの「雨ン中の、らくだ」はその次に読みました。

もちろん、談志の本も読みました。(彼は政治家としては嫌です。が、落語家としては好きです。別なんです。)

無料の動画、たくさん見ました。いっぱいあるんですよ、これが。なので、すみません、DVDは買ったことありません。

死んでしまった桂枝雀は、生で聴くことは出来ませんが、大好きです。

著書と動画では、志らくの魅力があまりわかりませんでしたが、生で聴いたら、これがすごく惹かれるのです。

なんでしょうね。

談春も一度は生で聴きたいと、策略中です。なるべく小さいホールがいいのですけど。